市川崑
日本映画界の巨星・市川崑
総監督を務めた「東京オリンピック」('65)が21日(月)NHK衛星第2で放送。昭和から21世紀初頭まで、映画界を牽引してきた、言わずと知れた日本を代表する監督である。
「映画にならない題材はない」と言う通り、思いついたら失敗を恐れず挑戦していく貪欲さから彼の作品には、“文芸作品”“時代劇”“アニメーション”“ドキュメンタリー”“ミステリー”など多くの分野が含まれている。また、思いつくままに自己表現していく市川の旺盛な好奇心は、「結婚行進曲」('51)での早口台詞や、子育ての奮戦を赤ちゃん視点から描いた「私は二歳」('62)、「火の鳥」('78)でのアニメーションと実写の合成、「竹取物語」('87)での昔話とSFの融合など、いくつかの作品からも見ることが出来る。そして、彼の代表作のひとつ「ビルマの竪琴」('56、'85)はベネチア国際映画祭サン・ジョルジュ賞、アカデミー賞外国語映画賞ノミネート(ともに'56年版)など外国でも高い評価を受けた。
また、オリンピックを“筋書きのない壮大なドラマ”と捉えた市川は、開会式から閉会式に至るまでを記録映画として撮った「東京オリンピック」の総監督を務める。望遠レンズを使用したり、さまざまなアングルから撮影するなど、選手の人間性を重視した演出をほどこし、芸術性の高い作品へ仕上げた。その一方で、記録映画なのか、芸術かの一大論争を巻き起こすが、結果的には大ヒットを記録することになる。その後も“金田一耕助”シリーズでヒットを連発し名匠の名を欲しいままにしていった。
晩年も創作意欲は尽きることなく、2006年には自らの「犬神家の一族」('76)を30年ぶりにセルフリメーク。夏目漱石の短編オムニバスの「ユメ十夜」(2007)の第一編「第二夜」が遺作となった。
後進の映画監督への影響も大きく、“岩井美学”なる映像手法を確立した岩井俊二は「犬神家の一族」を「自分の映画づくりの教科書」と呼び、2006年に「市川崑物語」を製作している。また、公開中の「ザ・マジック・アワー」では、市川監督が監督役として登場し、隅々に市川作品へのオマージュが散りばめられており、エンドクレジットには“市川崑監督の思い出にささぐ”と三谷幸喜監督のメッセージが入っている。
PROFILE
1915年11月20日、三重県伊勢市生まれ。'47年「東宝千一夜」で監督デビュー。翌年、脚本家の和田十さんと結婚。'49年の「果てしなき情熱」以降、'83年に和田さんが亡くなるまでほとんどの作品でコンビを組む。'56年「ビルマの竪琴」で一躍名監督の仲間入りをし、「炎上」('58)、「鍵」、「野火」(ともに'59)、「おとうと」('60)、「黒い十人の女」('61)、「破戒」('62)、「雪之丞変化」('63)など毎年のように名作を世に送り出した。かなりのヘビースモーカーとして知られているが、亡くなる5~6年前からは、吉永小百合のアドバイスもあり禁煙していたという。2008年2月13日、肺炎のためにこの世を去る。