ポール・ニューマン

半世紀にわたり多くの人々に愛され続けた永遠のスター
主演作「渇いた太陽」('62)、「新動く標的」('75)が、それぞれ16日(水)、17日(木)に衛星第2で放送。2008年9月23日に、がんのため83年の生涯を閉じたニューマン。戦後アメリカを代表する俳優の1人と評される彼だが、記念すべき映画初出演作「銀の盃」('54)は批評家から失敗作と酷評され、彼の演技も当時のライバル、マーロン・ブランドの“亜流”とやゆされるなど、そのデビューは決して輝かしいものではなかった。だが2年後、伝記映画「傷だらけの栄光」('56)で主演を務めたニューマンは、徹底した役作りで実在のプロ・ボクサー、ロッキー・グラジアーノを熱演し、一躍脚光を浴びる。同作で演じた“あらゆる権威に反抗的なキャラクター”は、以後ニューマンの十八番となり、「ハスラー」('61) でふんした裏社会の頂点を目指す若者エディ役や、「暴力脱獄」('67)の脱獄に挑戦し続ける不敵な反逆児など、ユーモアと知性あふれる魅力的なアウトロー役でスターの地位を築いていく。中でも、19世紀末に実在した強盗2人組の生涯を描いた西部劇「明日に向って撃て!」('69)は、ニューマンの代表作として人気が高い。
この作品で彼が演じたのは、相棒のサンダンス(ロバート・レッドフォード)と共に強盗を重ねる、無法者ブッチ・キャシディ。国家権力の追及によって窮地に立たされながらも取り乱すことなく、夢を追い求めて自由奔放に生きるブッチの姿は、アメリカン・ニューシネマを代表する“アンチ・ヒーロー”として多くの人々に鮮烈な印象を残した。
映画も大ヒットを記録し、トップスターの地位を不動のものとしたニューマンは、'70年代に入ってからも、「明日に向って~」のジョージ・ロイ・ヒル監督&レッドフォードと再びタッグを組んだ犯罪コメディー「スティング」('73)や、超高層ビルの大火災を描いたパニック映画の最高峰「タワーリング インフェルノ」('74)など、多くのヒット作に出演。酒浸りの生活から目覚め、正義のために闘う中年弁護士役で絶賛を浴びた「評決」('82)の翌年には、その功績をたたえられ、ゴールデングローブ賞のセシル・B・デミル賞を受賞、'85年にはアカデミー名誉賞も受賞した。
さらに、エディの25年後を演じた「ハスラー2」('86)では、7回目のノミネートでついに念願のアカデミー賞主演男優賞を受賞するなど、文字通り映画史にその名を刻んだ。還暦を超えても第一線での映画出演を続けたニューマンは、ベルリン国際映画祭男優賞を受賞した人間ドラマ「ノーバディーズ・フール」('94)や、ギャングのボスにふんした「ロード・トゥ・パーディション」(2002) などで、年齢を重ねた名優ならではの味わい深い演技を披露し、観客を魅了した。
その後2007年に5月に、“加齢により自分で納得のいく演技ができなくなった”という理由から引退を表明。ナレーターを務めたネーチャー・ドキュメンタリー、「ミーアキャット」(2008)が遺作となった。

PROFILE
'25年1月26日、アメリカ・オハイオ州生まれ。名門エール大学で演劇を専攻し、'52年にアクターズ・スタジオに入学する。舞台での活躍をへて'54年に映画デビュー。ニューヨーク批評家協会賞の監督賞を受賞した「レーチェル レーチェル」('68)など、監督としても6本の映像作品を残している。プロ・レーサーとして活躍したほか、ベトナム反戦運動など社会活動にも積極的に取り組み、自ら設立した食品会社の純利益2億2000万ドルを恵まれない子供たちに寄付している。私生活では'49年にジャクリーン・ウィッチと結婚し、'58年に離婚。同年に再婚したジョアン・ウッドワードとはその後50年間連れ添い、おしどり夫婦として知られた。

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